今週は残業時間の上限規制のルール作りをしている政府が、「特に忙しい期間の1ヶ月の残業時間上限を100時間まで」と決めたというニュースが話題になりました。
ただし、この100時間というのは、「やむを得ない時」のみだそうです。
残業月100時間「やむを得ない時の上限」|日テレNEWS24
こうした指摘に対し、塩崎厚労相は14日の会見で、「『月100時間』は、やむを得ない時の上限」だとした上で、「やむを得ない場合でも、安易に上限を締結するのではなく、月45時間・年360時間という残業時間の原則的上限にいかに近づけるかが大事だ」と述べた。その上で、パワハラ防止などを含めた、過労死を防ぐ総合的な対策を取りまとめる考えを示した。
~(中略)~
経団連の榊原定征会長と連合の神津里季生会長はいずれも、「残業月100時間はあくまでも特例であって、そこまで働かせてよい、ということでは決してない」と強調していて、神津会長は、「これから過労死・過労自殺を根絶することに向け歩を進めたい」「政労使でさらなる努力が必要だ」と話している。
これが規制?
今までの「やむを得ないときの上限」を定めた三六協定という抜け穴をふさぐという名目で新しく作られるルールが「やむを得ない時のみ月100時間までOK」と言うのはもう悪い冗談としか思えません。
今まで散々労働者を奴隷扱いしてきたブラック企業は当然、毎月「やむを得ない」からと言う理由で働かせるでしょう。
「月45時間・年360時間という残業時間の原則的上限にいかに近づけ」ようかなどと努力しようとする心優しい会社など、まずあるはずがありません。
そのようなことをきちんと努力しようとする会社が多かったら今頃こんな規制が必要になったりしていません。
こんな規制では何も変わらないのは誰の目にも明らかですから、そのことを政治家が分かっていないはずがありません。
つまり、彼らは日本のこのような奴隷労働社会を改善させる気などサラサラ無いということです。
彼らにとっては国民が何人過労死しようと痛くも痒くもありませんし、事件が起こる度に、「もっと厳しく規制します」などと口当たりの良いことを言って今後もはぐらかし続けていくのでしょう。
残業が存在するのは会社の怠慢
大体、過労死ラインと政府が定めているのが80~100時間だからそれ「未満」であればいいだろうという話には開いた口が塞がりません。
100時間を超えたら絶対に過労死し、99時間までならば絶対に過労死しないというのならばまだ分かりますが、そんなはずがありません。
そもそも労働者に与えた仕事が通常の業務時間内で終わるように管理するのが会社や管理者の責任なのです。
最初の労使契約に「勤務時間は9時から6時」と書かれていたらそれが働くべき時間です。
最初から残業を見込んでいるようなブラック企業は「8時から23時」などとでも書くべきでしょう。
まあ、そんな条件で働きたいと応募してくる人はいないでしょうが。
日本人なら誰でも知っているでしょうが、雇用契約に書かれている勤務時間などというものは日本においてはほとんど何の意味もないということです。
これは今まで何度もこのブログで指摘してきていますが、残業をするということは異常事態であり、普段は残業などはあってはならないものです。
残業を日常的にしないと仕事が終わらないということは、業務量とそれに対する適切な人員配置を会社が怠っているからに他なりません。
たとえ10分の残業であってもそれは「やむを得ない」ときのみ行うものです。
「やむを得なく」100時間も働かせるなど到底あり得ません。
もし仕事がきちんと業務時間内に終わるように計算されていたのならば、100時間もの計算間違いなどあるはずがないのです。
だから100時間残業させている会社があるとしたらそれは「やむを得ず」なワケは無く、最初から折り込み済みだということです。
国民の命よりもカネが大事な国
この規制作りのきっかけとなった、過労自殺した元電通社員の高橋まつりさんの母親もさぞ無念に思っていることでしょう。
月100時間残業「強く反対」 まつりさん母がコメント:朝日新聞デジタル
このような長時間労働は健康にきわめて有害なことを、政府や厚生労働省も知っているにもかかわらず、なぜ、法律で認めようとするのでしょうか。全く納得できません。
月100時間働けば経済成長すると思っているとしたら、大きな間違いです。人間は、コンピューターでもロボットでもマシーンでもありません。長時間働くと、疲れて能率も悪くなり、健康をそこない、ついには命まで奪われるのです。
人間のいのちと健康にかかわるルールに、このような特例が認められていいはずがありません。
繁忙期であれば、命を落としてもよいのでしょうか。
命を落としたら、お金を出せばよいとでもいうのでしょうか。
当然の反応です。
娘が亡くなっても悲しんでいるだけでなく、「今後このような過労死をする人がいなくなるように。そうしたら娘の死も少しは報われる」と思って彼女が行動しているのは誰でも分かっているはずです。
それでもこのような意味のない規制を作り、何時まで経ってもクソ労働環境を改善しようともしない、カネの亡者達が支配する日本の社会の闇が透けて見えます。
ほんと、何なんでしょうねこの国は?
最後にもう一つ記事を紹介しておきます。
「残業規制100時間」で過労死合法化へ進む日本:日経ビジネスオンライン
そしていま「100時間を認めないと企業が立ちゆかない。現実的でない規制は足かせになる」とのたまうとは。本当にわけがわからない。過労死のリスクを容認する国っていったいナニ?
何人の命を奪えば気が済むのか?
だいたいハイスペックな人たちが「自分」を基準に考えるから、わけがわからなくなるのだよ。ハイスペックな人が経営者になり、経営者には「自由に決められる権利」があるのでハイスペックな結論になる。
しかも、やっかいなのは、ハイスペックな人ほど「元気」なこと。
~(中略)~
仕事の要求度が高くても裁量権があると、「要求度=モチベーション」となる。だが、裁量権のない状態では、要求度がそのままストレスとなり、心身の不調につながっていく。
裁量権には「休む自由」も含まれるので、休みを入れたり、集中したり、と自分の都合でギアチェンジできる。だが、その自由がない一般の社員にはムリ。だいたいトップや上司の都合で、コロコロ要求を変えられる一般の社員に、残業の自由度もなにもあったもんじゃない。
「100時間を認めないと企業が立ちゆかない」などと言っているのは大概が経営者かそれに準ずるお偉いさんだと思います。
こういう人間達が日本の労働環境をまともにするのを阻止しているのです。
自分たちの都合のいいように働いてくれる奴隷が減っては困るでしょうからね。
彼らは、「自分が起業したときは死ぬほど頑張ってきた」、「月に100時間以上の残業など余裕でやっていた」、「その程度で過労死など甘え」などとのたまうのです。
しかし、上記の記事の筆者が言うように、「裁量権があるか無いか」ということは働く人にとってかなり違いが出てくるでしょう。
自分の会社で自分のためのビジネスをやっているのと、生活費を稼ぐために会社に雇われて仕事をしている人では全然違います。
自分のビジネスだったら例え辛いことがあっても自分でやろうと決めたことだし、自分のやりたいと思うことをやれるので、たくさん働いても苦にならないでしょう。
まあ、そういうことを言うと、「そんなに文句を言うのなら起業しろ」と言う人が必ず出てくるわけですが。
でも、全ての人達が起業したいと思っているわけでもありませんし、仕事に生きがいを見出したいと思っている訳でもありません。
「仕事はほどほどでいいから、早く家に帰って家族と一緒に過ごす時間を大切にしたい」と思う人もたくさんいるわけです。
大体、もし全ての人が起業してしまったら困るのは雇う人がいなくなってしまう彼ら自身だと思いますが(笑)
そうやって起業したくない人、出来ない人は会社に労働力を提供して生活することになるわけですが、「それならば会社に雇われる側の人間は全て会社の言いなりになるべきであり、100時間の残業も受け入れるべき」というのはどう考えてもおかしな話でしょう。
好きで自分のビジネスのために働いている人は、雇われて仕方がなく働いている人達とは違うということを認識するべきです。
それから、「100時間を認めないと企業が立ちゆかない」ような会社は経営者が勝手に何百時間でも死ぬまで働けば良いのです。
雇っている労働者を巻き添えにしてはいけません。
他人を死に追いやるような働かせ方を強制させないと立ちゆかないような会社はさっさと潰れるべきです。
いずれにしても、こまごまとした追加条件はあるにせよ、このような「月100時間未満の残業を認める」などという規制(これが規制と呼べるものならば)が作られることになったことは驚きを通り越して呆れ果てました。
今回のニュースを見る限り、日本政府には残念ながら、「国民に人間らしく健康でいられて家族と共に過ごす時間がある幸せな人生を送らせてあげたい」などという気持ちなどこれっぽっちもないのだということが分かりました。
心から残念な話です。