最近ネット上で「コーヒーをブラックで飲むのは日本人だけ?」ということが話題になっているのを見かけました。
題名だけで意味はある程度推測がつくと思いますが、「欧米ではコーヒーには砂糖かミルクを入れるのが常識で、ブラックのまま飲むなんてあり得ない」という話です。
ブラックコーヒーを飲むのは日本人だけなのか?
この話題は幾つものサイトで取り上げられているのですが、そのうちの一つをピックアップしておきます。
【バリスタも指摘】間違ってる日本人のコーヒー習慣【海外では非常識!?】 – NAVER まとめ
いきなり話がそれて恐縮ですが、上記の記事では「アイスコーヒーについても言及されていて、『アイスコーヒー』 とお店で注文してもヨーロッパでは理解してもらえない」というようなことが書かれています。
日本人:暑い日にはアイスコーヒーが美味いわ~!
ヨーロッパ人:アイス・・コーヒー???あぁ、コーヒーにアイスを入れるのね?
“Q:6年前にドイツのデュッセルドルフのメインストリートにあるマクドナルドに行きました。
私が「アイスコーヒー」をオーダーすると、店員さんは一瞬迷った素振りを見せて、ホットコーヒーになんとアイスクリームをドボン!と入れました。(中略)A:アイスコーヒーもしくは冷やしコーヒーは 日本発の世界に誇る(?)飲み物です。
ヨーロッパでは 今でも普及率は低いよう。”
アイスコーヒー 、ヨーロッパでは普及してないんですね~。
マクドナルドで注文したのが間違いなような気がしますが・・・
まあ私はヨーロッパのことは知らないのでこの話が本当かは分かりませんが。
それからアイスコーヒーが日本発祥というのも知りませんでした。
でも、これをもって「『海外』 ではアイスコーヒーと言っても理解されない」と言うのは早計です。
オーストラリアではカフェでアイスコーヒー(Iced coffee)を注文すれば店員さんは何の躊躇もなく作ってくれます。
ちゃんとメニューにも載っています。
ただし、日本のようなブラックのコーヒーに氷が入ったものを想像して注文したら全く違うものが出てきてびっくりすると思います。
オーストラリアではブラックコーヒーにアイスクリームと生クリームが載っているものが出てきます。
こんなやつです↓
当然めちゃくちゃ甘い(たまにそうではないお店もありますが)です。
もしかしたら日本式のブラックのアイスコーヒーが「日本発祥」ということであって、オーストラリアで出てくるようなものは「元祖アイスコーヒー」なのかもしれませんね。
どうやって飲もうと個人の勝手
話をブラックコーヒーに戻しましょう。
「コーヒーをブラックで飲むのは日本人だけ」という話に対するコメントを見ると以下のような意見がかなり目に付きました。
「『本当にコーヒーの味が分かるのはブラック』 などと言って飲む奴はアホ」
「ブラックで飲むのが粋などと言っている勘違い日本人は恥ずかしい」
「ブラックで飲むのが格好いいと思ってるなんて痛い」
中には「どうやって飲もうと個人の勝手でしょ?」と言う意見もありましたが、上記のような意見を本当に多く見かけました。
日本人はなぜこうも何でもかんでも他人を批判したがるのでしょうか?
「欧米ではそんなことしない」と聞いただけで鬼の首を取ったかのようにそれをしている人を馬鹿にする人達を見ると本当に情けなくなります。
そもそも誰かがコーヒーをブラックで飲んだところで他人の迷惑になっているわけでもありませんよね?
こういう時は「海外では~」「欧米では~」などと言うくせに、日本の労働環境が海外のそれと比べてどれだけ酷いかを聞いても何だかんだと難癖をつけて結局は「日本は資源がないから仕方がない」だの、「日本ではこれが当たり前なんだ」 だの、果ては「嫌なら日本から出て行け」などと感情的になって突っぱねる意見が多いように思えるのは私の偏見でしょうか?
コーヒーをどう飲むかなどいちいち欧米と比較して真似したりしなくても良いですし、どうでも良いので労働環境こそ見習って欲しいものです。
ちなみにですが、私はブラックとミルク入りどちらも飲みます。
砂糖を入れると飲んだ後に口の中に残る後味が嫌いなので砂糖を入れることは滅多にありませんが。
オーストラリアの現地の人達はやはりブラックで飲む人はあまり見かけませんが、いずれにしても「○○だから格好いい」とかそういう事を考えて飲んでいる人は恐らくいないと思います。
当然、「ブラックで飲むのが格好いい」と言う人など見たことがありません。
砂糖やミルクを入れるのが格好悪いなどという日本人の意見を言ってもきっと彼らには理解できないでしょう。
そしてオーストラリアではどのような飲み方をしようとも、日本のように「格好つけている」とか「分かったふりをしていて痛い」などと言われることはまずありません。
実際、私がブラックで飲んでいて「変わってる」とか「なんでミルク入れないの?」などと言われたことは過去に一度もありません。
ホント、そんなの個人の自由ですからね。
コーヒーの飲み方ごときで批判される原因は
ところで、このブラックコーヒーの話は日本の社会の一つの悪い面を反映していると思います。
日本の社会ではとにかく「他の人に合わせる」ことが正義です。
「和」を乱さぬよう常に注意を払い、「場の空気を読んで周りと同化する」ことが人々の大きな関心事です。
そして人と違うことをしたり変わっている人は叩かれます。
正に「出る杭は打たれる」です。
例えば、就職説明会に参加する新卒の人達は揃いも揃ってまるで葬儀の参列のようにブラックのスーツでみんな同じ。
違う色で目立つとそれだけでも不利になる可能性があるから「みんなと同じ」「目立たないようにする」ことに異常なまでに気を使います。
そのくせ面接では「個性」を求められたりするのですから、就職活動をしている方々には心から同情します。
「時計を身に付けるのが社会人としての常識。安物のデジタルなど付けるな」とか、そう言いつつも新卒などの若い人が高価な時計を身に着けているとそれはそれでまた批判されたりとか。
「ネクタイはこの結び方をしていないと恥ずかしい」とか少し時代遅れの形のネクタイだと笑いものになったりとか。
元のブラックコーヒーの話で言うと、「ブラックコーヒーを飲んでいるのは勘違いしている日本人だけでそういう人は恥ずかしい」とか「元祖の欧米の飲み方が正しい」とか。
日本にはこのようなおかしな「社会の常識」が何と多いことかと思います。
おかしいというか、本当にどうでも良い「決まり」とか「空気」ばかりです。
これらの事など、本当に個人の勝手でいいと思います。
そしてみんなそれらの下らない常識から外れないように細心の注意を払って生きているのですから本当に滑稽です。
このような常識に気を使うことに時間を取られ、また縛られて生きていることは私には貴重な人生の時間を無駄にしているように思えます。
私のような意見をもつ人間は日本では「協調性が無い」などと言われ、これまた批判の対象になります。
しかし、日本人の言う「協調性」とは大抵の場合、上記のようなどうでも良い常識の中に「みんなで仲良く収まりましょう」という「同一化」の強制なのです。
日本では学校でも会社でも社会でも「協調性が無い人間は駄目」などと言われますが、本来の協調性とはそれぞれ異なった個性の人達がそれぞれの個性を活かして協力し合うことであり、決して「みんなで同じ考えをして同じ行動をしましょう」ということではないのではないでしょうか。
長くなってしまいましたが、最初のブラックコーヒーの話の結論は、「誰がどう飲もうと気にせず自分が好きなように楽しく飲めばいいでしょ」ということです。
欧米人の飲み方と違ったっていいじゃないですか。
日本発祥のアイスコーヒーと同じで、ブラックコーヒーも日本発祥ということにして楽しんだら良いと思います。
実は日本人の「同調圧力」は子供の頃の教育から教え込まれています。
以下の記事を読むとその意味が分かりますよ。
>>日本の学校教育は同調圧力を美化し、社畜を生産する洗脳教育